日教組の犠牲者たち

日 教組がどれだけ多くの日本人を苦しめてきたかは明白だと私は思っていたが、ネットを検索しても個人的体験を語っている人は意外に少ない。しかも多くは国 旗・国歌がらみでの批判だ。だが日教組は本当の狂信者集団だと思う。私は自分の体験からこの点に確信を持っている。そこで、相当に古い自分の体験談を書い てみようと思う。何故なら、私の体験談はちゃんと証拠が残っているからだ。

前回、書いたように私の父は労組委員長だったのだが会社にスカ ウトされ、労働争議の専門家となった。会社の各地工場で労働争議がおきており、そうした場所に所長として派遣され、仲裁した。当時は普通の慣行だった。私 が中学3年の8月に9月人事が発表され私達は大阪府高槻市に移り住むことになった。タイミングが悪いことに丁度、兄の精神病が始まったところであり、私の 受験というのは考慮されなかった。何故かというと前の地域は内申書90%、受験10%で高校合格を決めていた。私は当然ながら受験勉強をほとんどしておら ず、ある有名高校に進学できると当然のように考えていた。ところが大阪府は正反対で受験90%、内申書10%の比率で高校合格を決めていた。兄の病気もあ り不満を言えるような状況では無かった。私は中学3年の2学期から受験勉強を始めることになった。だが私は元々、受験テクニックとかを馬鹿にしており教科 書をきちんと勉強してればどこでも通るはずだと考えていたので、これはそれほど大きな問題では無かった。問題は荒廃した高槻市の教育環境にあった。以下、 下のwikiからの引用を読んでいただきたい。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E5%85%83%E9%9B%86%E4%B8%AD

引用

地 元集中(じもとしゅうちゅう)とは、日本の一部の公立中学校において、中学生が公立高校を受験する際に、地元にある特定の高校1校のみを選択するように進 路指導する教育運動をいう。地元集中受験運動、あるいは実施されていた地域の名称をとって高槻方式などとも呼ばれる。略、地元集中は、大阪府の高槻市、枚 方市、守口市、門真市、寝屋川市、交野市、茨木市、松原市、大阪狭山市、和歌山県などの一部の地域で1970年代前半から1990年代中頃にかけて実施さ れていた。日本教職員組合のみならず教育委員会も推進していた。

進路指導は「共に地元の学校へ」という理念に基づいて行われた。全校生徒 集会やホームルームなどで取り組まれたが、一方で学習塾に通う生徒も増加し、学校外で実施される模擬試験を受験する生徒も多くなった。また高槻市や枚方市 では、強い取り組み、つまりは学校教師による事実上の強制(一部には恫喝、脅迫行為すらもあったとされる)がなされ、クラス全員を地元高校へ進学させるこ ともあった。その後、枚方市は市長の交代もあって地元集中をやめていき、高槻市が最後まで実施していたと見られる。

高槻市においては、生徒会主催名目で体育館に3年生全員を集合させて開催された生徒集会で、事実上の地元高校以外への受験志願者の「つるし上げ」も行われた。

ま た、学校によっては生徒やその両親との懇談時に内申書を開示しないなど不正な進路指導も行われ、これらの個人の尊厳を無視した指導により心的外傷になった 生徒も多数いた。地元集中を推し進める学校の意向、生徒を(私学との関係強化の為に)地元校に行かせたくない進学塾の意向、親の意向、本人の意向が絡み合 い対立が毎年起こっていた

引用終わり

wikiは綺麗事しか書いてないが、高槻市の教育現場は凄まじく荒廃していた。私が 中学3年2学期から転入した中学は高槻第六中学と言った。名前にピンとくるかたもおられるかも知れない。何故なら高槻第六中学の荒廃は高槻のなかでもずば 抜けており、当時(1970年代)にNHKが1時間のドキュメンタリーにして全国放送したからだ。正確に番組の名前を覚えてないが「高槻第六中学の荒廃」 といった題だったと思う。

どれだけ荒廃していたか?ある日の授業のことだ。不良達は机の上に自分の指を広げ、その間をナイフで突いてまわ るという「遊び」をしていた。こいつらは「**組の杯をもらった」という会話を普通にしていた。そうした遊びをしていた生徒は数人いたのだが、その内の一 人が立ち上がりナイフを教師に向けて投げた。それは教師から1m程度、離れた黒板に刺さった。特に珍しい光景でも無かったが高槻第六中学の現場はこれほど 荒廃していた。その理由は上記wikiに記載されている日教組主体の高槻方式という運動だ。日教組に全ての責任を押しつけるつもりは無い。当時の大阪近郊 はスプロール化現象で全体に荒れていたからだ。だが教室でナイフが飛び交うのは高槻の中学だけだった。

トイレ個室にはタバコの吸い殻が 1cmくらい積もっていた。窓ガラスは全て割れていた。学校側はすでに入れ替えることをあきらめており窓ガラスは割れたままだった。秋は良かったが冬にな ると窓を通して雪が教室に吹き込んできた。あまりに寒いために、生徒は全員コートか厚いジャケットを着ていた。我々は生徒であり南極越冬隊ではない。

そ して上のwikiが書いているように、私の担任女性教師は私の進路指導を拒んだ。高槻方式に従い、地元の高槻高校に行けと言うのだ。私は、ともかく日教組 に支配された高槻市から逃げたかったので隣の高校への内申書を書いてくれと頼んだが、書こうとしなかった。記憶が曖昧なのだが、最終的に内申書は出なかっ たと思う。私は以前の中学に疑似内申書を依頼した(この部分は間違っているかも知れない)。

私はまだ幸運だった。わずか2学期で日教組に 支配された高槻の教育現場から逃げることができたからだ。一方で高槻に生まれ育ち、こうした環境で教育を受けた人の多くが才能を潰され人生を無駄にしたと 考える。日教組の「運動」なるものは、ここまで狂っていたのだ。それを確認したければNHKに要請して、70年代制作のドキュメンタリーを見れば良い。何 しろ私が在学した高槻第六中学をメインにした全国放送番組なのだ。

鳩山さんを始め、民主党の皆さん、あなた達は自分のお子さんをナイフが 飛び交うような教室に送りたいですか?送りたくないでしょ?なら何故、民主党は日教組の支援を受けているのですか?票が取れれば「テロリスト」でもいいん ですか?国土交通副大臣、辻元 清美 さん、あなたは高槻で育ったんでしょ?どれだけ日教組が悪行を働いてきたか当然、知ってるはずだ。バイブを使ってる場合ですか?

民主党の皆さん、あなた達の支援団体の1つであるNHK代々木本部に行き、70年代のドキュメンタリーを見てください。そこで映され記録されている高槻第六中学の荒廃した教育は日教組がおこしたんです。

再度、聞きます。民主党の皆さんはご自分の子息をナイフが後ろから飛んできて黒板に刺さるような教室に送りますか?そんな教育はとんでもないとお考えなら民主党は日教組と手を切るべきです。

(前のエッセーで私は、小中高大全て自分の家から一番近く学費の安い公立/国立に行ったと書いたが、実は高校だけは上に書いた事情により隣の市の高校に行った。ここで訂正します)。